トミカスカイライン30年ぶりに復活! 伝説の成田レーシング PART.3

R30スカイラインシルエット
後期仕様となって30年ぶりに復活

インタビュー第三弾は、今も青木氏が自らで製作したN.S.Rの改造車について紹介。まったくオリジナルで作ったR30スカイラインシルエットは、まさにこだわりの一台。本気で欲しい方がいれば、オッサンオートまで連絡ください。よろしくレーシング。

青木美男PROFILE
1968年2月生まれ、53歳(2021年5月現在)。生まれも育ちも千葉県成田市。1980年後半の改造車の世界を引っ張り、そして盛り上げてきた有名チーム「成田レーシング」主宰。これまで作ってきた改造車は30台以上。現在はボディチューニングファクトリー「N.R.S」(成田レーシングスペシャルズ)代表。根っからの改造車好き。クルマ作りに対する熱い気持ちと飽くなく探究心、そしてそのズバ抜けた行動力で「日本一有名なシャコタン乗り」と呼ばれた。「青春の9割以上が改造車」と言い切る男。現在でも自身の秘密工場で改造車を作り続けている。

人気ブランド・インシュランスからの誘い

・エアロメーカーに誘われたことがあったとか?

実は当時のエアロメーカーのインシュランスに入らないかって話があって。プレジデントに乗ってる頃で、インシュランスもVIPカーブームで人気が右上がりの頃ですよ。28歳〜29歳ですげ〜悩みました。もちろん興味もあったし、エアロも作ってみたかったし。給料だって倍以上出すっていってくれましたから。でも遠藤さんから「行きてえなら行ってもいいけどよ。おめ〜が60歳の頃にVIPカー流行ってんのかよ」っていわれたんですよ。その言葉が刺さりましたね。

入れば入ったで、自分の頭を今のやってる年代の子にシフトしなきゃいけない。例えばVIPカーブームが終わって、トラックをイジるのが流行るような時代が来たとする。お前にトラックをイジるセンスがあるのか、と。自分が好きなものは、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいってすぐに浮かぶけど。自分が好きじゃないものまではどうかな〜って。そう考えた時に長いスパンでできる商売じゃないんじゃないかなって。

自分が現役の頃は、こんなの作ればいいのにとか、なんで作んないのか、とか絶対思うんですけど、でもそれがずっと続くわけじゃないし。年齢も取ってくるし、それこそ流行も変わる。ベース車だって変わる。街道レーサー時代のヒロモーターの社長も、VIPカーで有名なジャンクションプロデュースの社長も自分たちで改造車乗ってたから、そのポイントがわかるんですよ、絶対。当時、俺もいろいろ考えてましたもん。だけど、いい時代はいいだろうけど、継続はやっぱり難しいですよね。そう思いますよ。

35歳の時に自分だけの秘密基地「NRS」オープン

・成田レーシング流の改造車を作るNRSって何ですか?

中坊の時に、先生に高校行かないで板金屋になりたいっていったんですよ。その時、親に頼むから高校だけは行ってくれっていわれて。でもやっぱり、自分の中でず〜っとくすぶり続けてるものがあって、だから35歳の時、自分の工場を作ったんです。商売になるか、趣味になるかは別として、自分で作れるスペースってものがどうしても欲しくて。もう、車を降りてましたけど、秘密基地みたいなものが欲しくて。

それが「ボディチューニングファクトリー・N.R,S」(成田レーシングスペシャルズ)。スペシャルズってはケーニッヒスペシャルズからなんですが、意味あいとしてはカスタムを手がけるってことなんです。ケーニッヒの車を手がけているのはスペシャルズ、という意味で成田レーシング流に車を手がけるってのが『NRS」なんです。自分の中での解釈ですけどね。本業の仕事があるから、あくまで趣味の範囲なんですけど、休みの日とか夜中にコツコツと作ってます。

俺のセンスというか、この感覚で車を作ってもらいたいって人がいたら作りますよと。例えば、過去の車を見てこうしたいとか、いろいろ相談してもらって。ただホームページも作ってないし、あくまで趣味の延長なんで依頼は人ずてって感じですね。おかげさまで改造車の依頼はたくさんあって、なんだかんだと忙しいです。でも夜中に作業していると、あれ、この年齢にもなって、なんでデッパ作ってのかな、粉まみれになってんのかな、と思うことがありますけどね(笑)。

NRS(成田レーシングスペシャルズ)製作車

・NRSで作った改造車を紹介してください

セリカLB(TA20型)

学生の頃に衝撃を受けた土浦の「蘭」というチームのセリカを再現。しかし、ただコピーするだけじゃつまらないので、いろいろとアレンジしました。上面が山なりのシルエットフェンダーに迫力のデッパ、FRPで作ったアイローネゲート、延長3分割ハネ、4本出しタケヤリ。そして1番の自慢はフェンダーからボンネット全体を前に12cm伸ばした「丸ごとロングノーズ」。ヘッドライトの位置がより奥目になってカッコいいんですよ。色は金と緑。金の部分にはゴールドの7色ラメを、緑の部分にはグリーンラメとシルバーの7色ラメを吹いています。全体的には「手作り感のある当時の雰囲気」を考えて作りました。

テールランプとシルエットフェンダーに使っている「丸十」のパンチングメタルはこだわり。以前は金物屋で売っていたのですが、今はなかなか手に入らないんですよ。デッパとシルエットフェンダーを外せば、ワークス仕様でも走れますよ。フェンダーはサバンナ用です。これまでのいろんな技術を集めたような1台。旧車のイベント「ノスタルジック2days2013」に出展したら、観客が大喜びでしたね(笑)。

スカイラインRS(R30型)

これは少し前に作ったR30スカイラインシルエットです。ほぼ30年ぶり。前期型は作ったことがあったので、今回は鉄仮面の後期型。当時、筑波サーキットを走った最終型です。細かい所までこだわって再現しました。フロントフェンダー裏の丸いエアダクトや子持ちウイング、ボンネットダクトなどわかる人にはわかる仕様だと思います。

ただサイズや形なんかは微妙に変えてますね。そのままだと見た目のバランスが悪いんです。もちろんレースカーとしてはベストなんでしょうけど、やっぱ改造車ですからね。リアフェンダーなんかは本物よりも後ろに伸ばして、前後のバランス、左右のワイド感を調整しました。このR30シルエットフェンダーは型取りしているので、欲しい人がいれば製作しますよ。本気の方はぜひ、連絡ください。

北海道から九州までシャコタン仲間が全国にいる

・年に一度の全国レーシングチームOB会って何?

「全国レーシングチームOB会」って当時のシャコタン仲間と飲み会をやってるんですよ。24歳の時からだから、もう28回やってます。去年は残念ながらコロナの影響で中止になっちゃいましたけどね。こんなに長く続くとは思ってなかったです。今も30人から40人くらい集まってます。最初は温泉地とか泊まってやってたんですけど、最近は沼津の居酒屋とかが多いですね。

始まりは雑誌の対談とかグラチャンとかで、名古屋レーシングのヒデくんとか、和歌山の松本くんとかマドンナレーシング(北海道)の室井くんとかと知り合って。たまたまみんな同じぐらいの歳で交流が生まれたんです。それでせっかく友達になったんだから年に一回会おうか、ってことになって。ただOB会とはいってるけど、最近は現役もいっぱい参加してるんですよ。ただ若い子にしてみたら俺らは自分の親父さん以上のオッサンですけど、けっこう昔の話は面白いみたいですよ。だから年齢関係なしに盛り上がっています。

一応、俺の中では60歳まではやろうと思っているんです。これは昔から決めてて。来年が30周年なんですよ。その時は北海道でやる予定です。いつも札幌の人は遠くて参加できないんですよ。だから10年に1回は札幌でしょうと。10年前にも一度やっているんで、だからマドンナレーシングの室井くんに仕切ってもらって。札幌の街道レーサーとも交流できたらいいなと思ってるんです。だから今から、みんなに言っているんですよ。「お金貯めといてね〜」って。今からならなんとかなるでしょ。

俺もこんなに続くとは思ってなかったですね。年に1度しか会わない人もいっぱいいますし。50歳過ぎて、コロナウィルスの感染もあるし、お互いの生存確認の会みたいなもんですよ(笑)。ただ北海道から九州まで全国に友達や仲間がいます。これは一生の宝物ですね。

旧車ブームは長く楽しむために大人のマナーで

・最近の旧車人気について思っていることは?

今はすべて対してお金がかかるから大変だなとは、思いますね。特に旧車はクルマも高いし、部品も高いし。何もかもが高い。ちょっと興味のある子ができるって世界じゃなくなってきてますね。一台仕上げるのに黙っても500万円ぐらいかかるじゃないですか。鉄バンパーの付いてる世代はさらに高い。ジャパンですら中古で200万近くするっていうんですから。俺らの世代じゃ考えられないですよ。

それでエンジンやりました、足まわりやりました、何やりましたっていったらハコスカ、ケンメリとかは最低でも400万〜500万、ジャパンでも100〜200万円、GX71でも50万〜100万。若い子が旧車にシャコタンで乗りたいなと思ってもちょっと無理ですよね。もう旧車によってはスーパーカーを買うくらいのレベルですもんね。

まあVIPカーの頃からそういう流れはありましたけどね。あの頃だって住宅ローンで買ったやつもいましたから。セルシオ新車で買ってフェンダー切っちゃって、オーバーフェンダーにして。新車で700〜800万円して、それイジって1000万円オーバーでしょ。で売るときはクソミソでしたもんね。

だからどうしても40代、50代になっちゃうのも仕方ないと思います。それは2輪も含めてね。それはそれで全然、いいと思いますよ。一所懸命働いて、その金で自分の趣味として楽しんでんだから。ただ俺がいうのもなんだけど、大人のマナーで走りましょうと。旧車だから多少エンジンがうるさいのはある程度カンベンしてもらって。早めに走り過ぎますよって。ただ空ぶかしだけはNGだと思うんです。せっかく楽しんでるのに、どんどん集まる場所もなくなっちゃうし、旧車そのものイメージも悪くなっちゃうから。お前がいうなっていわれるかもしれないけど。

あとちょっと思うのは今の改造車って当時っぽく作ってあるんですけど、なんか当時と違うなってところが出てくるんです。多分、当時の雑誌とかを参考にしてると思うんですけど、たまに「ん?」って思うことはありますよね。。ただ改造車は自己満足だから、ぜんぜんいいんですよ。別に当時のままにする必要もないし。

これはもう好みだから、人の車にケチつけちゃだめですよ。俺らだってグラチャンの始めの頃の人らみれば「なんだよチバラギなんてチンドン屋かよ」って思われてたかもしれないし。昔は「街道レーサー」っていうぐらいでエンジンまでやってなんぼですから。でもいいんです。何度もいうように自己満足ですから。算数のテストじゃないんだから、正解はないんですよ。

クルマ好きの若者は若者らしく生きた時代

・シャコタン人生について思うことは?

俺はある意味、改造車オタク。人前に車を持っていって見てもらいたい。自分が思う車を作りたい。そう思って車を買ってきて切ったり貼ったり、溶接したり。大変なこともたくさんありましたけど、今思えば楽しかったことばかりですね。グラチャンに行くと自分の車が見られているかとか、どう思われてるかってすぐにわかるんですよ。カッコいい車にはすぐに人の壁ができるんです。

いわゆる花道。あれは本当にわかりやすい。誰もが審査員で。口にこそ出さないけどこの車が1番、こっちが2番ってやっぱわかるんです。そこで知らない人に「すげ〜」とか「カッコいい〜」っていわれることでが本当に嬉しかったですね。だから後悔はないです。後悔があるとすれば、あの車をやりたかったな〜とか、ぐらいですかね(笑)。

当時はグラチャンっていう舞台があったし、仲間もいたし、雑誌もヤングオートにオートマキシマム、チャンプロード、オートワークス、それこそたくさんあって、ある意味全部が揃っている時代。思えば俺たちがシャコタンに乗ってた頃は、本当に好きなクルマに熱中できた時代でしたね。

チバラギもいたし、ゼロヨンも最高速も、峠のドリフト族もいたし。雑誌のカーボーイなんか見てエンジンチューンを自作する人もいたし。お金だってあればあったでいろいろやれたでしょうけど、お金がないならないなりに楽しめた。あの頃は良かったな〜って、まさにオッサンですけど。でも本当に、クルマ好きの若者が若者らしく生きた時代だったな〜と思います。それだけは間違いないですね。