30年後、人生の目標だったジャパンを再購入

 1987年、18歳。7年落ち中古車のオレンジ色の日産スカイライン2000GT-EX TURBOが初めての愛車。オレンジのボディがお気に入りでした。一生乗るつもりでしたが、北海道の冬を乗りきれなくあえなく断念、足としても使えないため23歳の時に乗り換えを決意。絶対またジャパンに乗ると心に決め、乗り換えました。次の車は同じくFRのR32スカイライン。しかし、冬はジャパンより機動力なくて大変でしたね。

 ジャパンの各種パーツを親父の車庫で保管していましたが、原因不明の火災となり、すべて焼失。ハヤシストリートやスターシャークのホイール、前期後期テール各種、スポイラーやミラーなどのパーツ達はすべて灰になってしまいました。火災により溶解したアルミホイールは跡形もなくなり、溶解して流れてしまいました…。

 そして30年後、人生50歳までの目標となっていた2台目のジャパンを購入。7年間探しに探して、フルオリジナルのシルバージャパンに巡りました。そして某ショップにてレストア依頼。納車の際、レストアに必要な欠品パーツは30年前に俺が乗っていたオレンジジャパン』から偶然にも移植されてことが判明。事実を知った時は鳥肌ものでした。オレンジジャパンは、俺が廃車した後、偶然にもこのショップに引き取られ、部品取り車とし23年も眠っていたらしいです。
 レストアで偶然移植されたオレンジジャパンのパーツたち。オレンジジャパンの分身は、シルバージャパンに受け継がれ未だ健在です。当時、缶スプレーで自家塗装した後期テールを買い戻し、これまた同じ缶スプレーでシルバーで同色化。時間空間を飛び越えて、生き続ける運命的なジャパンなのです。(北海道:211japan.11_tan)